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ブンデスリーガで活躍した奥寺康彦 殿堂入り 独占インタビュー!



──サッカー人生、思い出に残っている出来事を3つ上げるとしたら?

「そうですね~
やはり社会人として古河電工に入社したことです。
あの入社が本当にサッカーをスタートしたきっかけでしたし、日本のサッカーのトップレベルでしたからね。
でも21歳の時、腰を悪くして椎間板ヘルニアになってしまったんです、実はそのとき、もう選手を辞めようかと思いました。
痛くて入院したんだけど、手術はしなかった。
入院して1ヶ月くらい経っても全然良くならなかったし、退院して筋力トレーニングしてなんとかごまかそうとしてやっていたんだけど、全然完治しない。
1試合フル出場は、身体が持たなかったですね。
痛みを抱えながら試合をやっていたんだけど、痛みは治まらず、シーズンが終わってもう現役を辞めようかなって、仕事一本がいいかなと思っていた時もありました。
でも、知り合いの方にある治療院を紹介していただいて通院をはじめたら、ばっちり相性があってね。
半年後には復帰できたんです。
そう、治ったんですよ!!
これが第一の出来事かな。

第二の出来事は、腰も回復して復帰した後に、ブラジル留学したことですね。
知っている人がどれだけいるか分からないけど、ブラジルに渡りパルメイラスに留学したんですよ。
確か1973年に、2か月ぐらいだったはず。
まだ結婚してなかったからあの頃は若かったですね(笑)
あれからだいぶ経つんだなぁ~。
この時代のブラジルといえば世界一のサッカー国でしたし、パルメイラスはサンパウロ州の中でもトップレベルでした。
全国選手権では勝てなかったけど、とにかくレベルは高かったです。
ブラジルの留学期間中のことを思い返すと、とにかく練習はフィジカルばかりやるんですよ。
フィジカルトレーニングがめちゃくちゃ多くて、ボールを蹴ったりボールを使ったトレーニングなんてほとんどやりませんでした。
フィジカルやってゲームやってフィジカル、フィジカル、フィジカルやってゲームやってと、そんな練習だったからはじめはびっくりしましたよ。
個人技、ボール捌き、ボールコントロールが優れたブラジルで、まさかボールを使わずフィジカルの練習が中心だということは想像もしていませんでした。
でも、フィジカルを軸にコンディションをしっかり整えてさえすれば、海外ではサッカーができるという考え方だったのだと思います。
土曜日に試合があるからそれに向かってコンディションを上げていくには、フィジカルトレーニングが重要。
それで木曜日にレギュラー組が決まって、1時間ぐらいコアゲームをやるんです。
だからずっとフィジカルトレーニングで、シュートやパスの練習をした記憶がないんですよ。
でもこの留学が僕のサッカー感、サッカー人生を大きく変えました。
ブラジル留学後めちゃくちゃうまくなって帰ってきたし、みんなびっくりするぐらいボールも止まる。
フィジカルのお陰でスピードも出てきたし、体もがっちりしているし、これが後に第三の出来事に繋がるんだけど、ブラジル留学が第二の出来事ですね。

第三の出来事は、やはりドイツに移籍したことですね。
まあこれも、みなさん知っているからね。
これは本当に青天の霹靂だね。
全然考えもしなかったし、そもそも考えが及ばなかったね。
我々が世界のトップレベルのリーグに行ってやれるなんて、考えもしなかったし。
わぁ~すごいなぁと見ているぐらいでした。
もちろん、あの舞台でやりたいなと思ったことはあるけど、自分の力が分かるからこそ考えられないんだよね、おこがましくて。
夢の夢だったことが突然現実になって、本当にびっくりした。
あのときは嬉しさのあまり震えたよ」



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