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世界各地から招かれる国際的セラピスト 奥田健次独占インタビュー【前編】

パートタイム教授、奥田健次です( ´ ▽ ` )ノ
いつもこんなゆる~い感じでブログを書いていただいておりますが・・・
はじめての方もいらっしゃると思いますので、プロフィールをご紹介させていただきます。

奥田健次(おくだけんじ)Kenji Okuda
兵庫県西宮市出身。専門行動療法士、臨床心理士。発達につまずきのある子とその家族への指導のために、全国各地からの支援要請に応えている心理臨床家。日本国内だけでなく、世界各地から招かれる国際的セラピストである。行動上のあらゆる問題を解決に導くための洗練された技術と、子ども一人ひとりに合わせて完全にオーダーメイド化された奇抜でユニークなアイデア、指導プログラムの緻密さについて、国内外の関係者から絶賛されている。
(kenjiokuda.comプロフィールより引用させていただきました)

インタビュー時間は2時間半、ほぼノンストップでお話しいただきました。
ダイヤモンドブログ独占インタビュー。前編・後編の2部構成でお届けいたします。

*************************************************************

──まず・・・幼少期ですが、義理のお父さんから暴力を受けて過ごされたということですが・・・
僕ね、実の父親については、あまり思い出がないんですよ。3歳頃の自宅での記憶が2シーンだけあります。
殆ど父親は家に居なかったので。
僕が3歳になるまでには、別居していたのか別れていたのかもう家には居なくて・・・。
で、再婚した相手、継父ですね・・・
母と継父の結婚式のときからですね。僕は5歳だったかな。
場所も覚えてますよ。
そこから始まってますよね・・・保育園の先生から預かった紙吹雪で祝福したのに「散らかるやないか!」と殴り飛ばされてね。

──継父の暴力が原因で、心を閉ざして家出と不登校を繰り返す・・・と資料には・・・
閉ざしてたかなぁ???
別に閉ざしてなかったですよ。ってか「心を閉ざす」って何? 干拓事業の水門を開ける閉ざすなら分かるけど。
ただ、いつ殴られるか分からないから、それは怖かったですよ。連れ子3人のうち、僕だけ殴られるわけですからね。子どもだから悪いこともしましたが、同じ事をしても殴られるのは僕だけ。体重20キロそこらしかない痩せた子を、100キロ近い大人が気分でぶん殴るわけですからね。一度、「なんで僕だけ殴られるの?」と聞いたら、開き直られて「憎たらしいからや!」と言われたこともあります。
まあ、でもね、なんて言うんでしょうね、「もうええわ」って。「どうせ言葉で話し合いができなくなったら大人は殴るんやろ」と。変な度胸がついたと思いますよ。
子どもの頃は怖がりでしたよ。やっぱり殴られたら痛いですし。でも、高校生の頃になると、「人に嫌われるくらい、痛くないわ」と。こういう度胸は良くない面もありますね。どんな「偉い人」に会っても、自分の考えと違っていたら「違いますよ」と言っちゃいますからね。「嫌うならどうぞ嫌って」という姿勢があるわけです。

──あまりにも事実が過激なので、ここまで聞いたこと、ほとんど書けないということが解りました。詳細な内容が公開されていない理由も理解できました。
そういうことなんですよ。
全部お話ししてるんですけどね・・・
書けないんですよ。

──じゃ、今の流れでもう一つだけ。
ドイツ人の宣教師との出会いって・・・普通、出会わないんですけど・・・滅多には。
街でバッタリ会ったわけじゃないと思うんで・・・
どういう出会いだったんですか?

結局、家にいるとですね、周りの人が何とかしてどっかに出したいと。
「引きこもり」って言葉、当時は今みたいに無かったですけど。それに、僕は学校でも有名な家出少年。「引きこもり」どころか、外へ出て警察や消防に保護されるのを繰り返していました。母親も苦しかったと思いますよ。

──母親の周りの人?
要するに、母親の友達とか・・・

──継父以外の親族の方なり・・・?
そうそう。
ま、父親は会社に行ってるじゃないですか。
そうすると自宅で仕事をしている母がいるわけですけど、学校に行かずに僕が家にいるっていうと母の友達が家に来たりすると…ま、実際そういう流れで『けんちゃん、何で学校行かへんの?』とかそういうふうには言ってこなかったですけど、『どっか行こう』とかっていろんな所へ連れて行ってくれるんですよ。で、(学校行くよりはええわ)っていう感じで連れて行ってもらった中の一つが宣教師さんのところやったんですよ。

──どんな出会いだったんですか?
そうですね。学校に行くような平日の時間に集会に行くって感じだったんですよ。
宣教師さんも分かってるじゃないですか、学校行くべき子が来てるっていうことを。
で、『学校へ行きなさい』って言われるかなって思ってたんですけど、その当時は言われなかったですね。ただ、受け入れて下さった感じです。
僕はもしかしたら父親みたいに思って慕っていたのかもしれませんね。受け入れてくれたから学校にこのまま行かんでもええんやって思ったら、ある段階で『しっかり社会人になりなさい』っていうようなことを言われた時期があるんですよね。それは重たくて、ちょっと厳しいようにも感じて・・・
単なる優しさっていうのじゃなくて、必要なこと、僕が望んでないことですら必要だよってことを諭してくれるっていうのは初めてのことでしたね。

──時期でいうと、いつぐらいですか?
それは高校の2年から3年くらいのとき。
だから中学の3年くらいから3年間は学校へ行ったり行かなかったりだったですけど・・・
世界各地から招かれる国際的セラピスト 奥田健次独占インタビュー【前編】
──そこで、そういう言葉なり感じるものがあって、そこで目指すんですか?
いや、まだその頃はどうだったかな・・・
今の道をですか?

──はい。
これが正しいものか分からないですけど、“ここで保育士を目指し、大学へ進学”って資料では・・・

当時ね、僕は第二次ベビーブーム世代なんで、クラスメイトとかが専門学校を受験して落ちるような時代だったんですよね。
今みたいに、入ろうと思ったらどこか入る大学がある時代ではなかった。スゴイ倍率だったわけですよ、どこも。
そんな中で、何か手に職をつけようかなって…
料理人になろうかなぁ…とか、いろいろ考えていたら、子どもの接し方が上手いって言うんで、じゃあ幼児教育に進もうと。

──子どもの接し方が上手いっていうのは、例えば高校生だったり中学生だったりっていう段階で、その宣教師さんの所に通っている間に他の子どもと接したり・・・
ま、それもありますし、この間のドキュメントでナレーションが付いて紹介されていたのはその通りなんですけど、(母親が)再婚するじゃないですか。父親が違うけど妹が出来たわけですよ、だいぶ歳が離れて・・・。
九つ違うんですけどその妹は同じ母から産まれているわけですから、父が違うっていうのは知識として解っていてもホンマに可愛い妹やっていう感覚があるんですね。
で、やたらと妹の世話をしていたんですけど、何から何までそりゃ上手なんですよ、子どもの扱いが。
で、妹に限らず、いまおっしゃったような宣教師さんのところの集まりとかで子どもたちが懐くんですよね。
“子ども磁石”って言ってるんですけど、自分からは寄って行かないんですよ。
寄って行ったら子どもは逃げますから、子どもが寄って来るようにするんです。

──自然とそういうふうに?
世界中、どこに行ってもそうです。
新幹線に乗っていても、子どもたちの視線が釘付けになるんです。
子どもたちってワカランものを見るんですよ・・・楽しそうなものというか。
『怖がるんじゃないですか?』ってよく言われるんですけど、『それは大人でしょ』って。
この辺の街を歩いていて、大人はそういう目で見るかもしれんけど、子どもは“ジー”っと見るんです。
世界どこへ行っても子どもに対しては『チャオ~』って感じですけどね。
それでも僕は自分からは寄って行かないです、寄ったら逃げるのが子どもなので。
子どもから来るのを待って・・・そういうのも今ならどういう技術を使っていたか説明できますよ。
って感じで、子どもを扱うのが上手かったっていうのは事実なんですよね。
でも、それじゃ足りないじゃないですか。やっぱり勉強しなきゃって。

──で、職として?
そうです。
で、僕、職人みたいになりたかったんですよ。
一体、職人って・・・子どもの仕事で職人って何やろって。
一般的な保育士とかじゃなくて、何かスペシャルなものってあるのかなと。
職人の仕事は今でも憧れているんですよ・・・憧れているっていうか、好きなんですよ。
やっぱり、その道の職人って、壺を作る人から絵を描く人から僕はみんな好きです。年下だとかも関係なく尊敬しちゃいます。
プライベートのことは皆“人間だもの”、いろいろあるかもしれないけど、仕事に打ち込む姿とか好きで、自分にしか出来ないものはないのかなって考えたんですけど、なかなか見つからなかったんです。
それで、自閉症の子と出会って(これは奥が深いな・・・)って。
これも本のあとがき(註:自閉症へのABA入門−親と教師のためのガイド;東京書籍)にも書いてあるんですけど・・・
僕、教育実習とか保育実習とか行ったりすると、一番重度の自閉症の子で『この子はお母さんに抱っこされても泣く子よ。誰にも触られたくない子です』っていうことがあったんです。初日に正座して(どの子やろ?)って待ってたら、男の子がバーッと走ってきて、僕の膝の上にパッと座ってきて目が合ったらニコッと笑ったんですよ。
(この子じゃないんやな・・・)って思ったんです。
事前にね、人と接触なんか、親とも接触を許さない子やって聞いてたんで。
そしたら、みんなビックリしてるんですよ。『○○くんが!』『初めて人に抱っこされてる!』『自分から行った!』って。
『えっ?この子なんですか? 抱っこされてますやんか』みたいな。
じゃ、その実習はすべて上手くいったかっていうと、そこから抱っこしてあげようとすると逃げるし、なぜ、僕はそのときあの男の子から膝の上に座ってきたのか分からないんですよ。
奥が深いんです。
思っていた通りにならなかったら、これは悔しいわけですよ。

──それは、その当時・・・磁石が引きあうってことですよね?
今でも引きあうわけじゃなくて。

まだ探りますよ。
当時は解ってなかったです、理屈は。
ただ、ちょっと器用な学生っていうくらいだったと思います。
今はどうすれば良いかっていうのは全部解ってます。計算ずくでやってます。残念ながら大人の女性には使えませんけどね(笑)。子ども相手なら解るわけです。
例えば、この会社の方でお子さんがおられるとしますよね、その子と会ったらね、ちょっと遊んだら直ぐ解りますよ、どういうふうに大人や子どもと接するのかとか・・・シンプルですから。
でも、そんなふうになるのは、やっぱり、さっき職人って言葉を使いましたけど、修行やと思って。
僕、修行は終わったんじゃ無いんですよね。
「一生修行や」って弟子にも言うてるんですけど、未だ修行して、死ぬまで、絡む限りは上手くなったろって思ってるんですけど・・・キリが無いんですよね・・・
世界各地から招かれる国際的セラピスト 奥田健次独占インタビュー【前編】
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