世界各地から招かれる国際的セラピスト 奥田健次独占インタビュー【前編】
──それでは読者の方からの質問内容を交えてお聞きしますが・・・
例えば、当時、今のところまでのお話だと、まだそこは行動分析学ではないんですよね。
ないですね。
あ、でも、その時に行動分析学の先生との出会いもありましたよ。
アメリカに行った時にはもう行動分析学の先生とは出会いがあった上で行きましたので。
──そこはもう行動分析学の分野を学びにっていうことで行かれたんですか?
結局、学生の頃は、行動分析学というよりも臨床をやりたかったんです。
つまり子どもと、所謂、クリニックで心理相談をやってるような心理相談室があるのに、心理の授業はあるのに、悪い言い方をすれば授業はやるくせに、クリニックは開店休業状態でやってないんですよ。
僕が19歳、20歳なりに不満で(先生が授業で教えてるだけで、やってないやんか)って。
まあ、今は多くの先生が忙しくて片手間でしかやれてないって知ってるんですけど、当時は(何で?)って思ったんですよ。
で、思っただけじゃなくて言ったんです、先生に。
その頃、19、20歳でしょ、だから全然へっちゃらですよ、先生に対して。
だから僕は言ったんです『何で先生はやらないんですか? 僕は臨床をやりたいです』って。
そうしたら、先生も困って『じゃあ、ウチではやってないから他の大学の先生を紹介するわ』って。
紹介されたところが自分のゼミの先生と全く違う臨床をやっている先生で、行動分析学をやっていたんですよ。
所謂、プレイセラピーってをやってる・・・ってね。
そういう他大学に通わせてもらうということは自分から望んだんですよ。
それでアメリカに行って・・・そこからはもう、行動分析学をやろうと思ってましたね。
だから、行動分析学をやりたかったからというよりも、それは出会いがあって、ベースには臨床をやりたい、少しでも効果的なものを提供できるようになりたいという強い意志。
学問というよりは、学問もやりながらクリニックに入って心理相談とかやりたかったんです。
それを求めていたら別の大学に潜りで行かせてもらえて。
──それはアメリカですか?
日本です。
モグリです。
だから、自分が逆に今、モグリ大歓迎なんですよ。
今、A大学の大学院とB大学とC大学で集中講義をやってるんですけど、そこに結構モグリで・・・C大学は昨年度で終わっちゃいましたけど、モグリで来てくれる子は結構いるんですよ。
──それ、いいんですか?
大歓迎です。
──大歓迎とか書いちゃいますけど良いんですか?
大歓迎・・・・・・あ、マ、マズイですね。
いや、僕は良いんですけど、でもそれを“モグリ大歓迎”って書いたことによって、モグリが増えたら大学に怒られるんですよ。
いっぺん怒られたことがあるんです。
僕は全然大丈夫なんですよ、僕は。
大学に迷惑を掛けるとか、それは申し訳ないですね。
ですから、モグリ大歓迎というのは訂正します。科目等履修生とか聴講生制度(註:大学によって制度が異なります)を使って、講義を受けに来て下さい。大歓迎です。
──その大学に関してですが・・・
繋がるかどうか分からないですけど、40歳独身女性のかたからで
“これから3年間会社員として働いて、お金を貯めてから行動分析学を大学で勉強しようと思います。先生が学生なら、学びたい大学、選びたい大学を教えて戴けませんか?”っていうのがあるんですけど・・・
たとえば星槎大学っていう通信メインの大学院もあるんですよ。
北海道にあって、北海道の他にも東京やあちこちにスクーリングできる教室があるんですけどね。他にも、社会人を受け入れている大学はたくさんあります。
ただね・・・
僕が言いたいことっていうのは、40歳独身のその女性が、今、お仕事を辞めてまでレギュラーで大学に通うのは、3年間お金を貯めたのなんてすぐになくなりますし、しかも、その後は何も無いかもしれない。
ならば、通信教育で社会人を続けながら、本当にやる気があるんのやったら、会社から帰って眠たくてシンドくても、そこからやる気があれば。
それが出来ないなら、どっちみち・・・
だから、辞めてまで来るのはリスクがあるっていうか、お金はすぐ無くなるよ。って。そうしたら「自分探し病」みたいになってしまいますよと。
止めといたほうがええって冷たく返しているのじゃなくて、社会人をしながら通信をするっていう“二足のわらじ戦法”が良いんじゃない?って。それを「できない」と考えているなら、もしかしたら今の会社がしっくりこないんじゃないかな。
それでも“二足のわらじ戦法”を取れる人なら全然できます。
むしろ、親にお金を出してもらっている学生らよりは、一生懸命、勉強すると思います。
スクーリングとかね、一週間だけ休みをもらって。
僕、夜学生だった時代もあって、その次は通信だったんですよ、アメリカから帰ってきて・・・東京の明星大学の。
通信のシンドさって僕は知ってるんです。週6日は働いているわけですからね。
その代わり、誰にも負けないくらい本を読んで、レポート書いて、本を読んで、レポート書いて。って。
一ヶ月に8万円くらい、本と洋書を買って。
僕、遠回りした学生なんで、人の何倍もやらないと。
当時、日本のAmazon.co.jpなんて無かったんで、Amazon.comで洋書を買って…。
丸善とか紀伊國屋書店だと$50 の本が倍くらいの値段で買わなきゃならないんですよ。
今でこそね、日本のAmazonで洋書も買える時代になりましたけど。しかも安く。
ですから、大変な環境でやってたんですよ。
こうやって遠回りした人間が学部卒のとき、二十何歳やったかなぁ。
で、大学院に入ったとき25歳くらいで、普通22~23歳で入るじゃないですか、一人だけ3年くらい年上で入ってるんですよ。
だから、シャレにならんくらいにやりましたね。
夜の寝る時間がグンと減って、ゴキブリみたいに夜中に蠢いてね。
昼間は臨床の修行やと思ってやって・・・。
──昼間の、一応、修行だって言われていたのは別の…
大学院時代は病院で嘱託で心理臨床やってましたし、療育センターとか福祉施設とか、そういう所に行ってました。週7日、仕事してました。
──通信っていうのは、資格なりを得る為の?
いや、あのー、取り敢えず大学院に入る為の通信やったんで。
大学院は通信じゃなくて、僕は普通にレギュラーで入ったんですよ。社会人枠とかは利用してないです。すでに週7日稼働している院生だったので、さっき言ったように臨床の仕事もしてました。
レギュラーの院生でしたが、お金が無かったので奨学金をもらいました。
大学院の奨学金って一ヶ月8万円ちょいあって授業が少ないし、ちょっとアルバイトすれば月に20万円くらいになるんですよ。
中古のベンツを買おうかなと思いましたけど・・・“奨学金セレブ”かと錯覚しかけた・・・(笑)
って、そんなことせずに、タダで譲ってもらったオンボロ車に乗って、それで本を買って、研究会に行って、学会に行って・・・っていう活動をしてました。
楽しくてしょうがなかったですね。
──その頃のお住まいってどちらだったんですか?
大学院のときは、国立大学の寮が一ヶ月3,000円の家賃だったので…
“お風呂、キッチン、トイレが共同、その代わり家賃が3,000円です”っていう。
不便でしたが、「まあおれ、研究奴隷ですからね、これはまだ恵まれた独居房や」と考えていました。
でも、それが苦痛なんだったら普段の学生をやったってどっちみちダメだし・・・って思いますね。
『お金が尽きたから、もう出来ません』じゃダメなんですよ。
『お金が無くてもやるでー』って。
で、たまに出会うんですけど僕がスゴイなって思うのは、自分の学会関係のだいぶ後輩で、女の子の学生が『奥田先生、私・・・もうお金無いけど、腎臓が二個あるし一個売ってでもお金を稼いで研究を続けます!』って。
だから『オイ、オイ、オイ、それ凄いけど逆に引くわ』って言って。
でも、引くけど、『アンタにその覚悟があるんやったら絶対に大丈夫や』って言ったのを覚えています。その子はいま、大学の先生ですよ。
腎臓、売ってないと思いますけどね(笑)。
でも、そういうことでしょ、あまっちょろいヤツはどこ行ってもダメですよ。
逆に言えば、心理の分野じゃなくても、そういうモチベーションというか発想があれば、どこの業界にいっても大丈夫ですよ。