高橋奈七永 独占インタビュー
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高橋奈七永オフィシャルブログはこちら
http://www.diamondblog.jp/official/nanaracka//
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今年でデビュー19周年のキャリアを誇る女子プロレス界のスター、高橋奈七永選手。自ら代表を務める『SEAdLINNNG』(シードリング)を立ち上げて、8月26日に豪華なスター選手を揃えたファーストマッチを行います。パッション溢れるプロレスラー人生、そして生まれ変わった高橋選手の夢まで、熱いお話をお伺いしました!
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『髪切りマッチ』が私の生きる道を決めた
キャリア20年目に突入とのことですが、プロレスの道に進むことになったきっかけを教えてください。
中学2年生のときに、テレビで女子プロレスを観たんですが…その試合は『髪切りマッチ』で、負けた選手が髪の毛を切って坊主になる試合だったんですね。女性が坊主になるってすごくショックなことじゃないですか。それなのに負けた選手は笑顔でバッサリと! 逆に勝った選手の方が泣きながら髪切りを止めようとする姿に釘づけになりました。髪を切った女子プロレスラーの潔さや精神力に感動してしまって「私もなりたい!」と思ったのが、この道に進んだきっかけです。
ご家族の反応はどうでしたか。
母は大の女子プロレスファンなんですが、私はテレビで観るまでは正直言って好きというわけではなかったんです(笑)。ファンとはいえ、娘がそんなことを言い出したものだから、最初は大反対でした。母は女子プロをよく知るファンだからこそ選手の苦労や試合の難しさ、怖さを見てよく知っていましたし、私の性格を理解していただけに「なれるはずがない」と。
母に賛成して欲しくて、説得するためにも1か月走り込んだり、自分なりにトレーニングをしたんです。そうしたら、そんな私を見ていた母も認めてくれるようになりました。
キャリア20年目に突入とのことですが、プロレスの道に進むことになったきっかけを教えてください。
中学2年生のときに、テレビで女子プロレスを観たんですが…その試合は『髪切りマッチ』で、負けた選手が髪の毛を切って坊主になる試合だったんですね。女性が坊主になるってすごくショックなことじゃないですか。それなのに負けた選手は笑顔でバッサリと! 逆に勝った選手の方が泣きながら髪切りを止めようとする姿に釘づけになりました。髪を切った女子プロレスラーの潔さや精神力に感動してしまって「私もなりたい!」と思ったのが、この道に進んだきっかけです。
ご家族の反応はどうでしたか。
母は大の女子プロレスファンなんですが、私はテレビで観るまでは正直言って好きというわけではなかったんです(笑)。ファンとはいえ、娘がそんなことを言い出したものだから、最初は大反対でした。母は女子プロをよく知るファンだからこそ選手の苦労や試合の難しさ、怖さを見てよく知っていましたし、私の性格を理解していただけに「なれるはずがない」と。
母に賛成して欲しくて、説得するためにも1か月走り込んだり、自分なりにトレーニングをしたんです。そうしたら、そんな私を見ていた母も認めてくれるようになりました。
その後、『アニマル浜口レスリング道場』に入門されたんですね。
母が浜口会長の道場を勧めてくれたんです。本当にやる気満々で通いましたよ。道場では、学年が1つ上の浜口京子ちゃんと一緒に稽古することもありました。彼女はとにかく強くて、どうしても勝てない雲の上の存在。京子ちゃんに勝つことを目標に必死に食らいついていましたね。今では、リングこそ違いますけど、京子ちゃんがオリンピックを目指して頑張る姿に勇気をもらっています。
また、道場では浜口会長から「気合だ~! 熱い気持ちを持ち続けろ! 目をひん剥け! 野獣になれ!」と熱く指導してもらいました。私の信念のひとつである「パッション!」も浜口会長の教えを受けて選んだ言葉です。浜口道場は私の第二の故郷。ここで、プロレスラーの基礎すべてを作っていただきました。今でも時々訪問しては初心を思い出しています。
そして16歳の時に全日本女子プロレスのオーディションに合格し、デビューされたんですよね。
はい。当時の全日本にはアジャ・コングさんがいらっしゃいましたね。入門生は、先輩選手の付き人、雑用、掃除などあらゆることをするんです。まだ選手ではないから試合もないし、人として扱ってもらえないこともあり、「私は何のために全日本に入ったんだろう?」って、その辛さに何度も脱走を図ったり、「辞めます」といって実家に逃げ帰って数カ月引きこもったこともありました。初めての挫折ですね。
引きこもりを経て、ようやくアルバイトで外の世界に触れた時「私まだ、何もやってない。どうせ挫折するならプロレスで挫折したい」って思って、戻る決意をしました。松永会長は「来る者拒まず、去る者追わず」の方針をお持ちでしたから、温かく迎え入れてくれたけれど、先輩方の信用を失っていますから、マイナスからの再スタートでしたね…。
その時を振り返ると、プロは本当に厳しい世界で、高いレベルの精神力が必要とされますから、まずは入門生に与えられる厳しさを乗り越えることが第一で、その苦しさに打ち勝って生き抜いた人だけがプロにふさわしい人になれるんだろうな…と実感しています。
母が浜口会長の道場を勧めてくれたんです。本当にやる気満々で通いましたよ。道場では、学年が1つ上の浜口京子ちゃんと一緒に稽古することもありました。彼女はとにかく強くて、どうしても勝てない雲の上の存在。京子ちゃんに勝つことを目標に必死に食らいついていましたね。今では、リングこそ違いますけど、京子ちゃんがオリンピックを目指して頑張る姿に勇気をもらっています。
また、道場では浜口会長から「気合だ~! 熱い気持ちを持ち続けろ! 目をひん剥け! 野獣になれ!」と熱く指導してもらいました。私の信念のひとつである「パッション!」も浜口会長の教えを受けて選んだ言葉です。浜口道場は私の第二の故郷。ここで、プロレスラーの基礎すべてを作っていただきました。今でも時々訪問しては初心を思い出しています。
そして16歳の時に全日本女子プロレスのオーディションに合格し、デビューされたんですよね。
はい。当時の全日本にはアジャ・コングさんがいらっしゃいましたね。入門生は、先輩選手の付き人、雑用、掃除などあらゆることをするんです。まだ選手ではないから試合もないし、人として扱ってもらえないこともあり、「私は何のために全日本に入ったんだろう?」って、その辛さに何度も脱走を図ったり、「辞めます」といって実家に逃げ帰って数カ月引きこもったこともありました。初めての挫折ですね。
引きこもりを経て、ようやくアルバイトで外の世界に触れた時「私まだ、何もやってない。どうせ挫折するならプロレスで挫折したい」って思って、戻る決意をしました。松永会長は「来る者拒まず、去る者追わず」の方針をお持ちでしたから、温かく迎え入れてくれたけれど、先輩方の信用を失っていますから、マイナスからの再スタートでしたね…。
その時を振り返ると、プロは本当に厳しい世界で、高いレベルの精神力が必要とされますから、まずは入門生に与えられる厳しさを乗り越えることが第一で、その苦しさに打ち勝って生き抜いた人だけがプロにふさわしい人になれるんだろうな…と実感しています。