カクトーク 第5弾 K-1ジャパンを支えた男 中迫 剛
カクトーク第5段 正道会館の先輩でもありますK-1ヘビー級を代表する日本人選手の一人、中迫 剛選手。 武蔵選手と同じ98年にK-1デビューし日本のヘビー級を引っ張った立役者の一人。僕がk-1に移って大阪で練習するようになってからはみんなで天満の商店街でご飯を食べたり、銭湯にいったり沢山の思い出があります。
現在中迫さんは イタリアンレストランのオーナーでもあり、第二の人生を歩んでいますが、今回は思い出の地の一つ、天満駅から徒歩30秒 昭和な雰囲気満点の 喫茶店 「オリオン」にて選手時代とこれからの格闘技界の話について語りました。
中迫(迫) 安廣(安)
以下敬称略
【第一次k-1ブーム】
(迫) 一番いい時期にK-1でやらせてもらえましたよね。
あの当時は、ヘビー級の世界で日本人がどこまで通用するのかをテーマにずーっと闘ってきたよね。
(安) あの階級で日本人が勝つのってほんと厳しいですよね、冗談じゃないって感じですよね。
(迫) そうなんだよね、同じ100キロでも 向こうの選手は元々の体格の100キロで日本人は80キロとかから無理やり増やした100キロだから骨格が違うんだよね、それがやっぱりアタリとかに出るんだよね。
(安) 70キロの僕の階級でもそれは感じましたね、あたりの強さは。
僕も元々は66キロぐらいで、空手始めて身体がでかくなったけど、海外の選手は80キロ、それ以上の体格から絞って70キロだから、アタリは全然違いましたよやっぱり。
もちろん前日軽量だから、当日は80キロ近くに戻してるから試合の時はサイズが全然違いましたよ。 迫さんの闘ってきた選手で誰が一番強かったですか?
(迫) こりゃやばいって思ったのは、フランシスコ・フィリオの右ストレート。ガードの上から受けたフィリョの右はこれをまともにもらったらやばいって思ったね。パンチが凄かった。あと頑丈だったね。馬力が半端なかったね。
(安) 確かに、身体強そうですもね。
(迫) だから、ブラジル人だとか、オランダ人とか間近で見てるから、サッカーなんか見ると日本人が互角に海外の選手と戦ってて、フィジカルの部分を技術でカバーするじゃない、だからホント凄いなって思うよね。
当時僕らウエイトとかトレーニングにしてもホント手探りな状態で、自分で試して、あっこれは良かった、悪かったってやっていて、今のようなトレーニング技術があればね、また変わってたのかなって思うよね。
(安) そうですね、トレーニングや技術は、今は凄いレベルが上がりましたよね。
(迫) 手探りでやってたからね。
(安) そうですよね、自分で試しながらでしたよね。
【現在の格闘技界】
今でも格闘技の試合は見ますか?
(迫) 大阪でやっているときは後輩の試合行ったり、ネットで東京でやってる試合の結果見たりはしてるけど、テレビでやらなくなったから、寂しいよね。
だから格闘技が最初にブームになった契機は団体を超えて、あの選手とあの選手が戦ったらどうなるんやろうっていう幻想から始まって、空手とキックの選手が戦ったらどっちが強いんだろうっていう、今はねこの団体とは交流しないとか、付き合いがある、ないとかね、内内だけでやってるから、面白さの幅を狭めちゃってるよね。 結局お客さんが居ないと始まらないんだから。
(安)ただ強い選手と戦ってみたいだけですもね、団体はあまり意識しないかもしれませんし、選手の成長を考えたら、エンターテイメント的にも選手の思いと、お客さんが見たいカードが大切なのかも知れませんよね。
(迫) 色んな団体の色出して、対抗戦やって行ったりして、一つになっていけばもっともっと盛り上がっていくんじゃないかなって思うけどね。
(安) 一つになる事ですよね。
(迫) 今若い子たちが目指す舞台がないからね、結局。 だから、僕たちが経験した事を次に繋げていきたいよね。 少なくなったけど、格闘技で夢見てる人おるからね、なんかの形で繋げていきたいなと思ってるんだけどね。
(安) そうですよね、僕らを見て格闘技始めた人たちも、少ないけどいますからね。