井上貴子デビュー25周年イベント:闘い続ける女たち
──負けず嫌いだったんですね。
負けず嫌いというより、これしかないみたいなところがあったから、逆にプロレスラーになれなかったらどうするんだろうっていう感じですよね。
──今となってはプロレスラーじゃない期間より、プロレスラーでいる期間のほうが長くなっちゃいましたね。
そっか。
そうだわ、四半世紀やってるんだ……(笑)。
──貴子さんのデビュー当時は、宝塚のトップスターのような選手が人気でした。その中で貴子さんは異色でしたよね?
私は、ああいう風になりたいと思わなかった。
そういう役割じゃないなというか、自分が一番前に出て、先頭に立ってやるような感じじゃなくて、他のポジションで自分にしかできないポジションを、そこを構築するというか……そっちが好きだったんだよね。
誰もやってないキャラクターをやろうと思っていた時にフジテレビさんがアイドルレスラーという感じで推してくれたんです。
「あっ、これだな」と思って、そこに乗っかったんです。
──抵抗はありませんでしたか?
最初は抵抗があったよ。
あんなヒラヒラのコスチュームとか好きじゃなかったし、むしろカッコいい女になりたかった。
だけど、当時の私は実力も伴わなければ、年齢的にも若かった。
だったら会社も私を推してくれているわけだし、アイドルレスラーというスタンスから段階を踏んでいけばいいと思ったんですよ。
それに、この路線は誰もやってなかった。
やりたいと思っていた先輩もいたと思うんだよね。
潰されそうになりましたから。
でも、アイドルになって人気が出てしまえば、女子プロレスって人気商売だからそんな先輩たちも何も言えないだろう、と思ったんです。
そこは凄くハングリーな感じでした。
それが2年目かな。
負けず嫌いというより、これしかないみたいなところがあったから、逆にプロレスラーになれなかったらどうするんだろうっていう感じですよね。
──今となってはプロレスラーじゃない期間より、プロレスラーでいる期間のほうが長くなっちゃいましたね。
そっか。
そうだわ、四半世紀やってるんだ……(笑)。
──貴子さんのデビュー当時は、宝塚のトップスターのような選手が人気でした。その中で貴子さんは異色でしたよね?
私は、ああいう風になりたいと思わなかった。
そういう役割じゃないなというか、自分が一番前に出て、先頭に立ってやるような感じじゃなくて、他のポジションで自分にしかできないポジションを、そこを構築するというか……そっちが好きだったんだよね。
誰もやってないキャラクターをやろうと思っていた時にフジテレビさんがアイドルレスラーという感じで推してくれたんです。
「あっ、これだな」と思って、そこに乗っかったんです。
──抵抗はありませんでしたか?
最初は抵抗があったよ。
あんなヒラヒラのコスチュームとか好きじゃなかったし、むしろカッコいい女になりたかった。
だけど、当時の私は実力も伴わなければ、年齢的にも若かった。
だったら会社も私を推してくれているわけだし、アイドルレスラーというスタンスから段階を踏んでいけばいいと思ったんですよ。
それに、この路線は誰もやってなかった。
やりたいと思っていた先輩もいたと思うんだよね。
潰されそうになりましたから。
でも、アイドルになって人気が出てしまえば、女子プロレスって人気商売だからそんな先輩たちも何も言えないだろう、と思ったんです。
そこは凄くハングリーな感じでした。
それが2年目かな。
──吹っ切れてから、先輩からの圧力とかは?
先輩から何を言われても「はい、どうもスミマセンでした」と言いながら、まったく聞いてなかった(笑)。
──さすがですね。この25年間でやめようと思ったことは?
若手の頃はいつも思っていましたよ。
地方巡業に行ったら、駅前のステーションホテルみたいなところに泊まるんですよ。
窓の外を見たら駅なんだもん。
「うわー、ここだったらすぐ逃げれちゃうね」って、いつも言っていましたね。
──でも一度も脱走したことがない。
ないの。
みんなちょこまか逃げているんだけど、私たちの同期はないね。
──昭和63年組(貴子世代)は優秀ですね。
雑草のようでしょ(笑)。
でもね、やめようと思って、何回も家に電話はした。
あの頃って携帯がないから、公衆電話で電話したなー。
だけど、母に「アンタの部屋は弟の部屋にしたから、無理よ」って言われました(苦笑)。
あと母親が家を出る時に「七転び八起き」みたいなことを言ってたんです。
「石の上にも3年。3年持てば5年。5年持てば10年」と言われたので、「じゃあ、3年は頑張ろう」って!
3年経った時には、ある程度、アイドルレスラーとしてやっていけてたので、よかったんだろうね。
先輩から何を言われても「はい、どうもスミマセンでした」と言いながら、まったく聞いてなかった(笑)。
──さすがですね。この25年間でやめようと思ったことは?
若手の頃はいつも思っていましたよ。
地方巡業に行ったら、駅前のステーションホテルみたいなところに泊まるんですよ。
窓の外を見たら駅なんだもん。
「うわー、ここだったらすぐ逃げれちゃうね」って、いつも言っていましたね。
──でも一度も脱走したことがない。
ないの。
みんなちょこまか逃げているんだけど、私たちの同期はないね。
──昭和63年組(貴子世代)は優秀ですね。
雑草のようでしょ(笑)。
でもね、やめようと思って、何回も家に電話はした。
あの頃って携帯がないから、公衆電話で電話したなー。
だけど、母に「アンタの部屋は弟の部屋にしたから、無理よ」って言われました(苦笑)。
あと母親が家を出る時に「七転び八起き」みたいなことを言ってたんです。
「石の上にも3年。3年持てば5年。5年持てば10年」と言われたので、「じゃあ、3年は頑張ろう」って!
3年経った時には、ある程度、アイドルレスラーとしてやっていけてたので、よかったんだろうね。