木下ほうか独占インタビュー!木下ほうかさん本人からプレゼントも!
『グレイトフルデッド』との出会いと、プロデューサーとしての仕事
11月1日から、役者としてだけでなくプロデューサーとしても関わられた『グレイトフルデッド』が公開になりますが、作品に関わることとなったきっかけを教えてください。
以前、内田英治監督と初めてテレビドラマの仕事をしたことがあったんですけど、最終日に監督に食事に誘われたんです。その時、「今度、こんな企画をやりたいんですけど…」と、2本のシナリオを渡されました。もちろん、その時点で映像化が決まっていたわけじゃなくて。「(実現に向けて)協力して欲しいんです」と言われて。そっからですね。
作品の最初の印象はいかがでしたか?
最初はもう一つの方を読んだんです。男の子が主人公の話で「面白いなあ」と思った。でも、こっちを読んでみたら、映画になった時の感じが頭に浮かんで…何より、自分が観てみたいと思ったんです。あらためて2つを比べてみた時、男の子の話の方は、観たことあるような感じがしたけど、こっちはあまり観たことないものだな、と思いました。年齢にギャップのある二人の話に興味が湧いた。そういう意味では、この作品にピンときましたね。
11月1日から、役者としてだけでなくプロデューサーとしても関わられた『グレイトフルデッド』が公開になりますが、作品に関わることとなったきっかけを教えてください。
以前、内田英治監督と初めてテレビドラマの仕事をしたことがあったんですけど、最終日に監督に食事に誘われたんです。その時、「今度、こんな企画をやりたいんですけど…」と、2本のシナリオを渡されました。もちろん、その時点で映像化が決まっていたわけじゃなくて。「(実現に向けて)協力して欲しいんです」と言われて。そっからですね。
作品の最初の印象はいかがでしたか?
最初はもう一つの方を読んだんです。男の子が主人公の話で「面白いなあ」と思った。でも、こっちを読んでみたら、映画になった時の感じが頭に浮かんで…何より、自分が観てみたいと思ったんです。あらためて2つを比べてみた時、男の子の話の方は、観たことあるような感じがしたけど、こっちはあまり観たことないものだな、と思いました。年齢にギャップのある二人の話に興味が湧いた。そういう意味では、この作品にピンときましたね。
今回、プロデューサーとしても関わっていらっしゃいますが…
2000年に初めてプロデューサーとして1本映画(映画『スイングマン』)を作ったんです。資金集めから企画立ち上げ、キャスティング…すべてやった経緯があって、今回がプロデューサー業が初めてというわけではありませんでした。でも、その時の作品が赤字になっちゃったり…自分が主演だったけど苦労も多くて、商業作品をもう一度プロデュースすることは封印していたんです。それほど苦い経験でした。しかし、やって得たものや学ぶことの方が大きかった。じゃあ封印を解くにはどうするか? …それには失敗したことと同じことで挽回するしかない。プロデュースをやって払拭するしかないんですね。それはわかっていたんだけど、封印を解くにはかなり時間がかかりましたね。
長い封印を解くために背中を押したのは何だったんでしょう?
あれから10数年経ちましたが、その間にいろんな俳優が映画を作ってきて、監督やプロデュースや…制作側に回るというのは、今では珍しいことではなくなりました。それは大きな変化で…。僕がプロデュースした頃は、とても珍しいことだったので、随分、生意気にも映ったと思います。けど、あの頃と違う風潮になり、自分も成長したこともあって、やりやすい環境になった。
話をいただいた時には「うん、やろう!」とすんなりではなく、もちろん躊躇はありました。でも一方で「もう(封印は解いて)いいんじゃないか?」とも思ったんです。今の風潮がそう思わせたのと、何より、シナリオの完成度が高かったことが背中を押してくれましたね。
2000年に初めてプロデューサーとして1本映画(映画『スイングマン』)を作ったんです。資金集めから企画立ち上げ、キャスティング…すべてやった経緯があって、今回がプロデューサー業が初めてというわけではありませんでした。でも、その時の作品が赤字になっちゃったり…自分が主演だったけど苦労も多くて、商業作品をもう一度プロデュースすることは封印していたんです。それほど苦い経験でした。しかし、やって得たものや学ぶことの方が大きかった。じゃあ封印を解くにはどうするか? …それには失敗したことと同じことで挽回するしかない。プロデュースをやって払拭するしかないんですね。それはわかっていたんだけど、封印を解くにはかなり時間がかかりましたね。
長い封印を解くために背中を押したのは何だったんでしょう?
あれから10数年経ちましたが、その間にいろんな俳優が映画を作ってきて、監督やプロデュースや…制作側に回るというのは、今では珍しいことではなくなりました。それは大きな変化で…。僕がプロデュースした頃は、とても珍しいことだったので、随分、生意気にも映ったと思います。けど、あの頃と違う風潮になり、自分も成長したこともあって、やりやすい環境になった。
話をいただいた時には「うん、やろう!」とすんなりではなく、もちろん躊躇はありました。でも一方で「もう(封印は解いて)いいんじゃないか?」とも思ったんです。今の風潮がそう思わせたのと、何より、シナリオの完成度が高かったことが背中を押してくれましたね。