井上貴子デビュー25周年イベント:闘い続ける女たち
今年、25周年を迎える女子プロレスラーの井上貴子さん。
11月15日には東京ドームシティホールで「井上貴子デビュー25周年イベント:闘い続ける女たち」が開催されます。
そんな貴子さんにこれまでのこと、そして、これからのこと……いろいろなお話をうかがいました。
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──アイドルレスラーの貴子さんが正直、25年もやるとは思いませんでした。
みんなに言われる(笑)。
──ご自分ではどういう心境なんですか?
一言で言ってしまうと、あっという間という感じで、気づいたら25年なんですよ。
あと何年頑張ろうとかそういう気もなく、やめる気もないし、何かのベルトが欲しいとか、今も闘争心もあまりないんだけど、本当にプロレスが好きという気持ちだけで続けてきた感じです。
──確かに好きでなければ続けられませんよね。
だって1年も持たないって言われていたんだもん(苦笑)。
──そもそも、どうしてプロレスラーに?
小学校の頃にテレビで女子プロレスをやっていたの。
ビューティペアとかの時代ですね。
それを見ていた時は、自分とはほど遠い世界で本当にファンとして純粋に見ていたんだけど、中学生くらいの時にジャガー横田さんの髪切りマッチがあったんですよ。
ジャガーさんが坊主になったのを見て、ジャガーさんのファンになったんです。
それで、またプロレスを見るようになって、そうしたらミミ萩原さんがデビューされて、「私でも勝てる! 私のほうが強い!!」って思ったんです。
その時、はじめて女子プロレスって普通の女の人でもできる職業なんだなっていうのを感じたんです。
そのあとクラッシュ・ギャルズが出てきて、翌年に立野記代さんがデビューされたんですけど、超弱かった(苦笑)。
みんなに言われる(笑)。
──ご自分ではどういう心境なんですか?
一言で言ってしまうと、あっという間という感じで、気づいたら25年なんですよ。
あと何年頑張ろうとかそういう気もなく、やめる気もないし、何かのベルトが欲しいとか、今も闘争心もあまりないんだけど、本当にプロレスが好きという気持ちだけで続けてきた感じです。
──確かに好きでなければ続けられませんよね。
だって1年も持たないって言われていたんだもん(苦笑)。
──そもそも、どうしてプロレスラーに?
小学校の頃にテレビで女子プロレスをやっていたの。
ビューティペアとかの時代ですね。
それを見ていた時は、自分とはほど遠い世界で本当にファンとして純粋に見ていたんだけど、中学生くらいの時にジャガー横田さんの髪切りマッチがあったんですよ。
ジャガーさんが坊主になったのを見て、ジャガーさんのファンになったんです。
それで、またプロレスを見るようになって、そうしたらミミ萩原さんがデビューされて、「私でも勝てる! 私のほうが強い!!」って思ったんです。
その時、はじめて女子プロレスって普通の女の人でもできる職業なんだなっていうのを感じたんです。
そのあとクラッシュ・ギャルズが出てきて、翌年に立野記代さんがデビューされたんですけど、超弱かった(苦笑)。
──女子プロ界の松田聖子と称された方ですよね。
でも、ああいう感じの人でも成り立つんだ……というのを知って、子供ながらにプロレスって怖いだけではなく、エンターテインメントなんだなっていうのを悟った。
それで、女子プロレスラーになりたい!と思ったんだよね。
──プロレスラーになるために何か努力されたんですか?
最初は何もやらないでオーディション受けて、落ちちゃったの。
中学3年の頃です。
その時に受かっていたのが北斗晶さんとかですね。
──昭和60年ですね。あの時は一番受験者が多くて2000人はいました。
多かった〜。もう本当に多かった。
アレに受かるのは大変ですよね。
その当時、私が入門した全日本女子プロレスには規定があって、中3〜高3までの4回しか受けられなかったんですよ。
私だって15〜16歳で入りたかったんだけど、受からなかった。
──なぜ落ちてもチャレンジし続けたんでしょう。
何回も受けるものだと思っちゃったの。
とりあえず18歳まで4回あるから、その間に受かれば……と(笑)。
──毎年、受けたんですか!?
毎年、受けたよ。それで最後の4回目に受かったの。
でも、ああいう感じの人でも成り立つんだ……というのを知って、子供ながらにプロレスって怖いだけではなく、エンターテインメントなんだなっていうのを悟った。
それで、女子プロレスラーになりたい!と思ったんだよね。
──プロレスラーになるために何か努力されたんですか?
最初は何もやらないでオーディション受けて、落ちちゃったの。
中学3年の頃です。
その時に受かっていたのが北斗晶さんとかですね。
──昭和60年ですね。あの時は一番受験者が多くて2000人はいました。
多かった〜。もう本当に多かった。
アレに受かるのは大変ですよね。
その当時、私が入門した全日本女子プロレスには規定があって、中3〜高3までの4回しか受けられなかったんですよ。
私だって15〜16歳で入りたかったんだけど、受からなかった。
──なぜ落ちてもチャレンジし続けたんでしょう。
何回も受けるものだと思っちゃったの。
とりあえず18歳まで4回あるから、その間に受かれば……と(笑)。
──毎年、受けたんですか!?
毎年、受けたよ。それで最後の4回目に受かったの。