あれから一年後の2012年3月11日。
あなたは何をしていましたか?
みんなが撮った日常をつなぎ合わせたら、一本の特別な映画ができました。
INTRODUCTION
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日常を生きる人々の姿に、どうしてこんなにも心が動かされるのだろう。 2010年7月24日、あなたの日常の1コマを撮影して送ってください。 リドリー&トニー・スコット兄弟のその呼びかけに、世界中から動画が投稿された。世界初にして地球規模の一大プロジェクト『LIFE IN A DAY』。なんでもない1日を慈しむような、ひとつひとつの映像が繋がり1本の映画となった時、参加した人々の想いはひとつになり、時に美しく、ユーモラスで感動的な、画期的なソーシャル・ネットワーク・ムービーが誕生した。 そして2012年3月11日。日本が、そして世界が自然の脅威に晒された“あの日”から1年。人々はどんな24時間を過ごしたのだろうか。それを記録に残すことが、あの日を忘れないということ、あの日を心に刻むということ。そんな想いのもと、リドリー・スコット率いるスコット・フリーとフジテレビの共同プロジェクト『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ] 』が動き出した。 2012年3月11日に撮影され集められた、世界12カ国、8000本、300時間もの動画たちが描き出す、ある24時間の物語。 1歳の誕生日を迎えた女の子、初めて遠くの公園まで出かけた父子家庭の親子、婚姻届を提出するカップル、出産の日を迎えた夫婦、――その日が記念日となった人々の姿。 客と笑い合う酒屋の店主、女の子が偶然カメラで捉えた小さな小さな黄色い花、日本各地で行われたマラソン風景、――ありふれた一日を慈しむような映像たち。 そして震災の起こった14時46分。日本中が、「黙とう」の声と共にガレキや海に花を供え、祈りを捧げる。そしてある男性はカメラを前にし、家族や家を失いながらも、これからも強く歩んでいくという独白をする。――私たちが決して忘れる事のない、想い。 これら全く別々のエピソードがひとつにつながり、ストーリーとなり、人々の想いは希望に溢れた、ひとつの物語を紡ぎ出す。 ありふれた日常が、なぜこんなにも愛おしいのか――、ありふれた日常に、なぜこんなにも涙するのか――。 これは、その日を生きた人々の姿。そして、いまを生きる、私たちの物語。 |
STORY & BEHIND THE SCENES
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2012年3月11日、日曜日。 終電が去り、夜が更け、それでも都会の街は眠らない。若者たちは朝が来ることなど忘れたかのように酒や音楽に興じている。 やがて太陽が昇り、光が降り注ぎ始める。ビルに、スカイツリーに、そしてたくさんの命をのみ込んだ東北の海にも──。 カメラをじっと見つめる赤ちゃん。つぶらな瞳が愛らしく、頬笑みをたたえた口元が、今にも何かをしゃべり出しそうだ。1年前の3.11、赤ちゃんはまだ、母親のお腹の中にいた。あの日、胎動でしか命を確かめられなかった子どもが、いま目の前で笑っている。今では肌の温もりや声で、成長を確かめることができるのだ。 父親の自転車のチャイルドシートに乗り込む男の子。ヘルメットをかぶって、毛布をかけて、寒さ対策も万全。道路を走り、階段を上り、父は大変だ。父子家庭の日曜日。今日は少し遠くにある公園へ初めて出かけるのだ。一生懸命に自転車をこぐ父に、男の子が話しかける。僕が大きくなったら、お父さんを乗せてこいであげる、と。「それはラクチンだな」と父の声は弾む。 昔ながらの酒屋。初老の店主がそろばんをはじき、妻が客を相手に笑う。客がカウンターを前に立ったままクイッとコップ酒をあおっては、帰っていく。北九州独特の文化と言われる“角打ち”の風景だ。ここは、東北から1000キロほど離れた九州の地。そんな遠くで何が出来るのかと、撮影者は考える。彼は酒屋の店主と他人である客との心の触れ合いを追いかける。 狭い仮設住宅の急ごしらえの仏壇の前で、「今日で1年です」と穏やかに微笑む男性。仏壇には、父、母、妻、娘の4人の写真が並んでいる。彼以外の家族全員が、車で避難する途中に津波にのまれたのだ。車の発見時、「娘を胸に抱いて何度も名前を呼んだのは覚えています」と語る男性は、電気店を営んでいた。心の中で一緒に生きていくと、淡々としかし想いを込めて語る男性は、仮店舗で電気店を再開した。「今日だからと肩肘張って、さあこれからということは無いんですけれど、前に進むようにしたいです」。 土台しかなくなってしまった家。だが、そこに住んでいた撮影者は屈託なく、「ここが台所、ここがピカピカだった廊下」と紹介する。座敷だったところに、なんと畑を作りだした。周りを見渡しても、ガレキ以外には何もない。彼女は「こんな風景になっても、いつかは戻るぞ!」と元気に叫ぶ。 朝からハイテンションの女の子。父親が撮っているカメラを「貸して、貸して」と騒がしい。お姉ちゃんたちは迷惑そうだ。外に出ると、道路に少し雪が残っている。カメラを奪い取り、走り出す女の子。彼女が父を導いたその先には、雪が解けた土の上に、小さな小さな黄色い花が咲いている。 一軒の家の中をカメラで映す男性。妻と娘は静岡県に自主避難していて、おととしの10月に建てた家は、まだ新しいが人気もなくガランとしている。「離れても家族を守っていきたいなと思っています。妻と娘ともう一度一緒に住めるようになるのが、これからの願いですね。」カメラを初めて自分に向けて、男性は「頑張ります」と、静かにけれどしっかりと拳をあげる。 |
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そろそろ、昼食の時間だ。鰻重を美味しそうにかき込む男性、料理を携帯で撮る若者、そして祖父と孫娘らしい2人の写真に、優しく供えられる陰膳──。 そして今、新しい命が生まれようとしている。特別な1日を締めくくり、そしてまた特別な明日を迎えるために──。 |
PRODUCTION NOTE
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名匠リドリー・スコットのソーシャル・ネットワーク時代の新たなる挑戦 リドリー・スコットが製作総指揮を手掛け、ケヴィン・マクドナルドが監修した『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』は、映画制作の全く新しい形を生み出した。何千人もの人々が投稿した映像から、一本の映画を作るという、まさにソーシャル・ネットワーク時代にふさわしい制作方法だ。「この手法は、映画制作においてグローバルな体験をする機会を世界中の人々に提供するために作られた」とリドリー・スコットは説明する。投稿者は、自ら映像の主題を選び、肩の力を抜いて個人的な思いや秘めた感情をドキュメンタリータッチで表現することが出来る。 この手法で、リドリー・スコット率いるスコット・フリー・プロダクションズは、今度はBBCと共同で『ブリテン・イン・ア・デイ』を制作した。前作が世界規模だったのに対して、『ブリテン・イン・ア・デイ』は規模を縮小して、現代の英国の文化や人々の生活を切り取った作品だ。 そして2012年、フジテレビからの呼び掛けにこたえ、リドリー・スコットが三度この方法に挑戦したのが、『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ]』である。東日本大震災から1年後の3月11日の深夜から24時間、数多くの人々が自ら“監督”となって撮影した、自然でリアルで魅力的な映像を一本の作品に仕上げた。 日本からの映像が主となった、本作のオリジナリティ 『LIFE IN A DAY』にも携わり、投稿されたすべての映像を観て編集のための分別作業をするロガーチームのリーダーを務める、日本人スタッフ中島絵里は語る。 「『LIFE IN A DAY』との一番大きな違いは、やはり日本人独特の感情表現です」。 世界中から映像が投稿された『LIFE IN A DAY』では、カメラに向かって自分をアピールしたり、友達や家族との時間を映したりなど、メッセージ性が強く、能動的なものが多かったのに対し、本作での日本からの映像は、一人で風景を撮るなど、人物が写っていない映像が多くあった。ロガーとしては、本当にこれらの映像で、撮影時の投稿者の想いを観客に伝えることができるのかと心配になった。しかし編集が進むにつれ、その心配は杞憂に終わった。「一見淡々としているが、実は素晴らしい瞬間や意味が浮かび上がる映像たちに出会いました。逆に、直球で何かメッセージを伝えてきた『LIFE IN A DAY』よりも、よりパーソナルな人々の世界に踏み込み、静かにその人々の生活を観察し、その日常に存在する愛情や背景にある物語をゆっくりと理解していくことができる」と中島は振り返る。「日本ってやっぱりいいね。海外に住む我々にとって、日本の良さを改めて実感することのできる貴重な経験でした」 テレビが今、メディアとしてやるべきこと 日本のテレビ局には、緻密で美しく、かつダイナミックな映像制作の文化がある。そんな日本の映像文化の伝統が新たなテクノロジーと出会うとき、世界中の人々が感動する作品が出来上がるはずだ──この作品の企画をリドリー・スコットに持ち込んだフジテレビの早川敬之プロデューサーは、そう考える。 フジテレビは、この新しい制作手法を駆使するにあたって、2011年3月11日の東日本大震災から1年後の“その日”に焦点を絞り、世界中の人々と繋がることを目的とした。震災による津波が人々を容赦なく襲い、罪のない何万もの命を奪った。それでも、少しずつ生活を立て直し、未来を決して諦めない人々がいる。フジテレビは、自分たちがメディアとして為すべきことは、1年が経った今、私たち日本人がどうやって暮らしているか、どんな感情を抱いているかを世界に発信することだと考えた。さらに、この企画に参加することで、人々に自分たちの存在を記録し、生きている証を残す喜びを感じてほしいと願った。 |
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日英がタッグを組んだ、何十万時間にも及ぶ膨大な映像との闘い 成田とマーティン、編集のクリスティーナ・ヘザーリントンが、投稿者15,000人から素材を受け取るという任務を負った。日英合同の制作チームの最大の難題は、記録映像の圧倒的な量だった。すべての映像を把握するために、画期的なタグ付けシステムが開発された。はじめに映像を“人々”“感情”“場所”“時間”“出来事”など大まかに分類する。次に人々では“赤ちゃん”“家族”“母”、感情では“泣く”“笑う”“興奮”、場所なら“学校”“海岸”“電車”など、さらに細かいタグがつけられる。こうして分類された映像で、今度は特定の人々や環境に焦点を定めたショート・フィルムの数々を構成していく。視覚的かつ叙情的な共通点のある映像をパッチワークのごとく繋ぎ合わせていく。そうするうちに、作品の骨組みが見出され、オープニング、中盤、エンディングが決まっていく。一度フレームワークが決まると、どのショットを作品のどの部分に当て込むかに気を遣わなければならない。ショットの一つ一つが作品の繋がりに影響を与えるからだ。 作品を支える、何ものにも影響されない子供たちの映像の力強さ 映像の中で最も多かったのは、子供たちである。彼らの日常の営みは自然そのもので、世界とポジティブに向き合うその姿は、エネルギーに溢れていた。大人がカメラを構えた瞬間、どうしても製作側の意図が反映される。だが、面白いことに、子供たちはそういった問題には全く影響されずにいる。子供たちは、感情的に、本能的に、直感で行動する。 その結果、彼らは作品に多大な希望を与えた。なぜなら彼らこそが、作品が探っている現代社会の問題と、実際に未来で向き合い、対峙する人間だからだ。制作チームは、当初は子供たちの映像が多すぎることを懸念したが、子供たちは作品を、かけがえのない命の輝きで満たした。 追悼作品ではなく、今日を生きる私たちの物語 『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』が証明して見せたのは、特別ではない1日を取り上げながら、実は特別でない日など1日もないということだった。しかし今回の任務はその逆だ。“悲劇から1年目を迎えた日”という特別な日が出発点だからだ。日本側のディレクターである成田岳は、特別な日の何気ない日常を描くことによって、意図的ではない自然な特別感に満ちた作品に仕上げようと思った。「追悼作品にはしないというのも、我々の選択だった。物語のベースとなる部分には津波の被害があるものの、日本が今でも常に悲しみに暮れていて、悲劇を乗り越えられずにいるだけの国としては描きたくなかった」と語る。 英国側のディレクターのフィリップ・マーティンも、「悲劇的な出来事があったが、それでも人々が人生を生き続けていく姿を表現したかった。我々は人々が悲劇を忘れるのではなく、囚われるのでもなく、確かにそれぞれの人生を生きていく姿を作品にしたかった」と語る。 |
STAFF
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・リドリー・スコット/製作総指揮 |
特別試写会へ10組20名様をご招待!
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あれから一年後の2012年3月11日。 |
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『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ]』 |