INTRODUCTION
世界のトップで活躍する日本人プリマ、西野麻衣子 15 歳で親元を離れ、ロンドンのロイヤルバレエスクールに留学。99 年にノルウェー国立バレエ団に合格し、入団。世界各国から集まった狭き門、60~65 人のダンサーたちの中でソリストに抜擢され、05 年に東洋人初のプリンシパルとなった西野麻衣子。芸術活動に貢献した人に贈られる「ノルウェー評論文化賞」も受賞し、今やノルウェーで知らぬ人はいないと言われる存在である。 172 ㎝の長身と長い手足から繰り出される麻衣子の舞いは、人々をうっとり魅了してやまず、私生活ではオペラハウスで芸術監督をする夫・ニコライと、幼い長男アイリフと3人で、私たち日本人が憧れる北欧暮らしを送る。そんな彼女の素顔は……大阪弁バリバリのイキの良い女性だった! 本作は、そんな彼女が、子供が欲しい気持ちとキャリアの間で心が揺れる矢先、予期せず妊娠し、出産を経て、再びプリンシパルとして復帰しようとする姿を追ったドキュメンタリーである。しかも麻衣子が復帰作として選んだのは、プリマデビューを飾った、クラシックバレエでも屈指の難役である「白鳥の湖」。果たして、周囲がみな“不可能ではないが、相当タフな試みだ”という1人2役を、踊り切ることができるのか――。 誰もが知るように、観客が愛でる美しいバレエを踊るダンサーは、芸術家であると同時に、身体を極限まで鍛え、磨き抜いたアスリートだ。しのぎを削ってトップを目指す若きダンサーが次から次へと現れる中、レベルを落とすわけにはいかないバレエ団としては、時に過酷な現実を麻衣子に通告することになる。トップで踊り続けることがいかに大変か身を持って知る麻衣子が、「母親だからと配慮は無用よ」と言い切りながら、いかに精神的に追い込まれ、自分の肉体を追い込んで以前のレベルを取り戻そうとするか、その過程はまるでサスペンス映画のようなハラハラと緊迫感を与えもする。動悸を速めながら、きっと誰もが麻衣子から目が離せなくなるだろう。 同時に一人の女性として、とりわけ働く女性や自分の道を進もうとする多くの女性は、麻衣子がキャリアと子供を持つという決断の狭間で揺れる姿に、そして出産・子育てとの両立にいかに向き合うかに、深く共感しながら、心を掴まれずにいられないだろう。麻衣子が尊敬してやまないキャリアウーマンだった母・衣津栄との関係、そんな母から子供を産んで家庭を作るよう促された麻衣子の戸惑いと動揺、小さな口論は、多くの女性が身に覚えのある我が事として、思わず前のめりにならずにいられないはずだ。カメラがじっと寄り添うように映し撮る、言葉に詰まり涙がこみ上げる麻衣子の複雑な胸中に、私たち観客は何度も共鳴し、思わず一緒に涙を流すことになる。孤独に必死で耐えた留学時代の手紙を読み返す麻衣子、麻衣子の舞台を見つめる母・衣津栄の表情、母になった麻衣子の実感のこもった言葉……。感情が深く掘り起こされ落涙を免れない、これまでにない美しくも親密な感動のバレエドキュメンタリーが誕生した。 監督は、新聞で麻衣子を知って取材を開始し、麻衣子に魅せられ、その素顔に迫るべくドキュメンタリー映画を撮ることを決断したノルウェー人女性オセ・スベンハイム・ドリブネス。本作が単に“ヨーロッパの一流バレエ団のトップで活躍する日本人女性の日常と美しい舞台”を映像に収めるだけにとどまらず、深い人間ドラマに到達したのは、監督と麻衣子の信頼関係の賜物である。 |
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母・衣津栄、夫・ニコライ 主役の麻衣子に負けず劣らず、独特の愛嬌で強烈な印象を放つのが、パワフルな“大阪のおかん”衣津栄。麻衣子も語るように「娘の夢のためにどんな犠牲を払ってでも賭けてくれた」深い愛情、潔さ、そして時に娘を突き放して成長を促す子育て法に感銘を受けると同時に、太陽のような存在感に引き込まれずにいられない。「麻衣子には私の DNA が流れている」という言葉どおり、まさに、この母にして、この娘あり。麻衣子の才能開花、最大の秘訣は、この母にあった! 一方、大阪弁で会話する母娘を、あるいは電話で母親と話す麻衣子を、優しく見つめる夫・ニコライの存在感は、陽だまりのような優しさで観る者をも包み込む。さらに肝心なときには的確な言葉で麻衣子の背中を押す愛情が、感動的だ。とりわけ麻衣子が「白鳥の湖」での復帰を決断し、ニコライに相談した際、「自分が育休を取る。頑張ろう(we must go!)」という励まし方――「頑張れ!」でも「僕も頑張る」でもなく、「頑張ろう」という言葉に、共に人生を歩む妻への信頼と絆を感じ、さすがノルウェー人男性!と感心せずにいられない。大きなニコライが小さなアイリフを抱く姿、世話するイクメンぶりも必見だ。 見習いたい、北欧ノルウェーの生活背景 近年、人気を増す北欧の生活空間、そのライフスタイルを垣間見られるのも魅力の一つ。ニコライと麻衣子の住居、清潔でスッキリしたリビング周りの様子、ベビーカーで散歩する海沿いや公園、もちろん海から突きだした氷山を思わせるオペラハウスなど、数々の映像が興味を引く。 だがそれ以上に、ノルウェー社会の働く女性への支援体制の充実、人々の意識の違いに驚かされる。映画でも描かれるが、麻衣子が妊娠を告げた際のバレエ団の仲間たちの反応、組織としても本人の意思がない限りキャストの交代はないように、体制も人も子供の誕生を歓迎する働く女性に優しい社会の在り方に感心させられる。 物価は日本の3倍程度だが、福祉の充実には目を見張る。出産費用は1円もかからず、国家公務員となる国立バレエ団のダンサーは 41 歳で引退となるが、その後、すぐに年金の支給がはじまる。当団がヨーロッパでも入団希望のダンサーが多く人気が高いのも、この待遇や福祉の充実が一つの理由でもあるのだ。 |
STORY
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母から私へ、そして新しい命へ―― 首都オスロ、ノルウェー国立バレエ団のオペラハウス。 傷だらけの足をトウシューズに差し入れ、舞台裏へ走る後姿をカメラが追う。両脚を叩き、気合を入れた麻衣子 は、優雅に、力強く舞台に舞い出でた。観客はプリマの踊りに見惚れ、熱烈なスタンディングオベーションを贈る。 「私の名は“ダンシング・チャイルド”」と語る麻衣子は、6歳でバレエをはじめ、15 歳で名門ロンドンのロイヤルバレエスクールに留学。その費用を工面するため、両親は自宅と車を売り、祖父母の家に移った。ところが英語も満足に話せない 15 歳は、ほどなく激しいホームシックにかかる。だが母・衣津栄は麻衣子をはねつけた。「すぐに諦めて投げ出すな」という母の教えを支えに、麻衣子はバレエに打ち込んだ。 19 歳でノルウェー国立バレエ団に入団。両親への大きな恩に報いる機会が“魔法のように”訪れたのは、24 歳。 主役の代役が高く評価され、25 歳で東洋人として初のファーストソリスト(プリンシパル)に抜擢される。プリンシパルとして踊り続けて数年後、オペラハウスの音響・映像の総監督をするニコライ(通称ニコ)と結婚していた麻衣子は、“子供が欲しい”と思い始める。だが逆に、「そろそろ自分の人生も考えて。何もトップじゃなくても…」という母の言葉に動揺し、電話で口論するように。 そんな矢先、予期せず妊娠が発覚。ニコと初めてお腹の中の子の心音を聞いた麻衣子の心から、迷いが消えた。新しいバレエ芸術監督が着任し、新体制の中、麻衣子は周囲に妊娠を告げず、プリマとして舞台に立ち続ける。だが体つきや体調に変化が現れ、7週目を前に、監督とバレエマスターに妊娠を告げる。彼らの反応は、心からの祝福と温かな抱擁だった。お腹も目立つようになった頃、麻衣子は久々に大阪の家族を訪ね、家族揃って妊娠を喜び合う。だがノルウェーに戻るとヒューストンから招聘されたソリストを紹介され、胸中は複雑だ。 |
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遂に、息子・アイリフが誕生。 |
CAST & STAFF
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監督:オセ・スベンハイム・ドリブネス/出演:西野麻衣子 |
Maiko Nishino 西野麻衣子プロフィール
西野麻衣子 Maiko Nishino 大阪生まれ。 6 歳よりバレエを始め、橋本幸代バレエスクール、スイスのハンス・マイスター氏に学ぶ。 1996 年、15 歳で名門英国ロイヤルバレエスクールに留学。1999 年、19 歳でオーディションに合格し、ノルウェー国立バレエ団に入団。 2005 年、25 歳で同バレエ団東洋人初のプリンシパルに抜擢される。同年、『白鳥の湖』全幕でオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)を演じ分けたことが高く評価され、ノルウェーで芸術活動に貢献した人に贈られる「ノルウェー評論文化賞」を受賞。2008 年4月に新国立オペラハウスのこけら落とし公演で主役を演じた際には、ハーラル5 世ノルウェー国王のご臨席も賜った。2009 年には同年新設されたトム・ウィルヘルムセン財団オペラ・バレエプライズを授与された。現在も同バレエ団の永久契約ダンサーとして精力的に活躍中。 武器は 172cm の長身と長い手足を生かしたダイナミックかつエレガントな踊り。プリンシパルデビュー以来クラシックからコンテンポラリーまでノルウェー国立バレエ団のレパートリー全てに主演。クラシックバレエで演じた役は『白鳥の湖』の他、『オネーギン』のタチヤーナ、『ジゼル』『シンデレラ』『眠れる森の美女』のオーロラ姫、『くるみ割り人形』のドラジェの精、ヌレエフ版『ドン・キホーテ』のキトリ、『マノン』など。モダンバレエではキリアンの『ベラ・フィギュア』を始め、ジョージ・バランシン、ウィリアム・フォーサイスなど名だたる振付家の作品に出演している。またクリストファー・ウィールドン、ヨルマ・エロ、デイヴィッド・ドーソン他、彼女のために役を創り上げたコレオグラファーも多数。 私生活ではノルウェー人の夫・ニコライさんと長男・アイリフ君と3人暮らし。オペラハウスで芸術監督をしているニコライさんとは劇場で出会い、結婚した。 |
『Maiko ふたたびの白鳥』 |