メイドを連れたNWA世界ウェルター級チャンピオンプロレスラー、日本とメキシコで大活躍中の大原はじめさんは12月14日にメキシコで、NWA世界インターナショナルジュニアヘビー級のベルトをかけたタイトルマッチに出場します。 これを記念して今回の特集では大原さんの今までのプロレスにかけた半生を紹介します。
プロフィール
大原はじめ
1984年7月24日生まれ
身長:174cm 体重:86kg
出身:神奈川県
特技:料理(調理師免許持ってます♪)
憧れの人:ウルティモドラゴン
口癖:カメハメハ!!
ペット:フェレット(名前シナモンちゃん)
所属事務所:ハッスル
☆大原はじめのOFFICIAL BLOG☆
僕がプロレスと出会ったのは中学校2年の時だった。
その頃の僕は毎日学校が終わるとバスケ部で仲間とバスケを楽しみ、家に帰ると友達の家に遊びに行ったり自宅に来てもらいTVゲームで盛り上がっていた。
べつにゲーマーというわけでもないけれど友達とワイワイ、ゲームで盛り上がるのが大好きだった。
そんな中学生活を送っていたある日僕たちの間でプロレスゲームが大ヒット!
毎日学校から帰るとプロレスゲームで盛り上がった。
そんな中でも自分の中でプロレスはゲームの世界のものという感覚で現実のものではなかった。
しかしある日、新聞を見ていると深夜1時にプロレスの4文字。
!?!?!?なんだろうと疑問に思いつつビデオに録画。翌日部活から帰ってから見てみた。
今でもはっきりと覚えている三沢光晴VSジョニーエースのシングルマッチだった。
実際に試合を見て受けた感動や驚きはものすごく大きかった。
その日からプロレスはゲームの世界だけのものではなくなった。
僕は雑誌を買ったり本を買ったり、ビデオ屋でプロレスのビデオをレンタルしたりしてプロレスを勉強した。
それからどうしても自分もプロレスラーのようにかっこよくなりたい!!
どうしてもプロレスラーになりたいと強く思うようになり、毎日腕立て伏せやスクワットで体を鍛え始めた。
そんなある日、父から家の近くに高田延彦さんの高田道場があるから通ってみなと言ってもらい高田道場に通わせてもらった。
それからは学校、部活、道場という生活になった。もちろんそんな中でも僕は合間を縫って友達と遊んでいた。
中学卒業後はプロレスは料理を作る雑用があるから料理ができたほうがいい!
というとんでもない発想で服部栄養専門学校に通い調理師の免許を取った。
それからは料理の修業と高田道場でのレスリングの練習という生活になっていった。
そして18歳の時、プロレス業界入りをした。
自分がそのとき一番試合がおもしろくてかっこいい団体と思った『闘龍門ジャパン』に入門。
闘龍門とはウルティモドラゴンが作ったプロレス専門学校。日本で約半年の練習や雑用をして、認められたものだけがメキシコに渡りメキシコで経験を積みデビュー。
そしてメキシコで認められた人間を日本に逆輸入するという仕組みだった。
最初30人いた同期は日に日に辞めて最後には6人になっていた。
なんとか辛い雑用や練習に耐えてメキシコ行きの切符を手にし、『なんとかデビューできる』という希望を胸にメキシコに渡ったけれど、現実はそう甘いものではなくメキシコでの本格的な練習が始まり自分の力のなさを痛感した。
先輩からは『才能ないから辞めた方がいい』『そんなんじゃデビューすらできない』
といった言葉しかもらえなかった。
それくらいの落ちこぼれだった。
校長からも
『たとえデビューしてもおまえは厳しいな』
と言われ完全に自分の心は折れそうになっていた。
正直デビューさえできればやめてもいいかなとも思った。
そんな中メキシコに渡って半年後、奇跡的にデビューさせてもらえたが結果は惨敗。
その後も勝ち星に恵まれないし人気もないし、はっきりいってさえないレスラーだった。
プロレスは人気商売。お客さんにうけなければ残れない世界。厳しさを痛感しながらデビュー後1年間やってきたが鳴かず飛ばず・・・・。
そんな中、奇跡的なチャンスが自分にやってきた。
当時メキシコで活躍していた日本人選手が日本に帰国していたため、その日本人選手の代役に自分が選ばれた。
その後はその人の代わりに試合をするようになり、試合をする相手も今までと別格の、TVに出ているような凄い選手とばかり対戦するようになり、試合の中で自分も成長していった。
そして代役から2か月。
メキシコの一番大きな会場『アレナメヒコ』での試合が決定した。
これは日本で言うと日本武道館にあがるようなものでメキシコのリングにあがるものならだれしもが目指すリング。
この日の試合の観客は1万5000人。次の日にはTV放送もある。
わかりやすく例えると、路上ライブしていたミュージシャンがあるきっかけでクラブハウスで演奏するようになり、評判があがりいきなり日本武道館でライブ決定!!
といった具合だった。
とにかく今まで経験したことないような状況だった。
3vs3の試合では、なんと対戦相手の中にウルティモドラゴンの名前があった。
ウルティモドラゴン校長は僕にとって師匠であり父のような存在であり、正直レスラーとしてはくらべものにならないくらい雲の上の存在。
案の定試合には負けた。けどかなり健闘できたと思っている。
それから僕はメキシコでアレナメヒコの常連選手となりメキシコでかなり活躍できる選手にもなり、日に日にレベルアップしていった。
そしてデビュー2年目にして世界タイトルのチャンスが巡ってきた。
見事勝利、NWA世界ウェルター級チャンピオンにもなれた。
それからも着実にメキシコ、日本、スペイン、イタリアなどで試合をして経験を積みキャリア4年目にして3vs3の試合だけど念願のウルティモドラゴンからフォールを奪うことに成功した。
ウルティモドラゴンの弟子としてウルティモドラゴン越えは目標であり恩返しだと思う。
落ちこぼれの僕をここまで育ててくれたのはウルティモドラゴン校長。
そんな校長におちこぼれの大原はじめはこんなに大きく成長しました!!とリングで伝えたい。
そしてシングルマッチで校長越えをしたい。
12月14日メキシコでシングルマッチが決定している。
しかもその試合はNWA世界インターナショナルジュニアヘビー級のベルトがかかったタイトルマッチだ。
自分のプロレスの師匠であり父親のような存在のウルティモドラゴン校長から必ず勝って弟子としての最高の恩返しをしたい。
そして次日本に帰ってくるときにはベルトと一緒にチャンピオンとして帰ってきて、ファンの人やみんなに喜んでもらいたい。
12月14日は自分にとって運命の日になりそうだ。