十津川警部の出現を阻止する
ぱーとたいむ教授、奥田健次です(^^)
大学を退職して、軽井沢で学校をつくってますヽ( ´3`)ノ
メリットの法則−行動分析学・実践編(集英社)が、ロングセラーっぽく売れ続けているようです(^o^)
あとがきにも書きましたし、日本行動分析学会のニューズレター最新号にも寄稿しましたが、この本の中で伝えたいことの一つは「阻止の随伴性」についてです。
出版後、うちの弟子らもまたこれがブームになっているようで、あれこれと身の回りの日常生活での阻止の随伴性の例を考えては、ああでもない、こうでもないと言っているようです(ブームじゃいかんよ、使いこなせ!)。
おれに質問してきた弟子もいて、しかしその質問のレベルがまあまあ高いときと、まるっきり低いときがあります。まあまあ高いと、おれもしばらく考えてみてスッキリと整理するのを楽しめます。誰も解けなかったパズルを解いたような、誰も見つけられなかったウォーリーを見つけたような気分になります。
ところが、質問のレベルが情けない場合もあります。
その答えが明らかに『杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・R. W. マロット・M. E. マロット(1998)行動分析学入門.産業図書.』に明記されているからです。当然、うちの弟子らはこれを読んでいます。読んでいるのに、その読んだ当時はきっとスルーしちゃったということでしょう。「産業図書の行動分析学入門を読み直しや!」と回答してます。
上記の産業図書の行動分析学入門は、行動分析学を学ぶための必読の書です。そして、一度読んで終わりの本ではない、すなわち業界のバイブルといえるものなのです。おれでも、今でも臨床をやってて「この現象って認知の人らはどこに存在するのかも分からん概念を作って説明してるけど、行動分析学でどう説明できるんやろうか?」と思ったら、これを読み返します。原理や自然法則を扱っているので、どこかに答えがあるはずです。
阻止の随伴性も、メリットの法則を読んで「すんなり頭に入りにくい」という感想が当然のように聞こえてくるのですが、ありがたいことに阻止の随伴性を解説した文献は少ないのです。ぜひ、上記の産業図書のほうの「行動分析学入門」を読み返して下さい。
そして、メリットの法則の主要文献の中にリストアップしている、岡山大学の長谷川先生の文献をお読み下さい。
長谷川芳典(1997)スキナー以後の行動分析学(6):行動随伴性に基づく自己理解(1).岡山大学文学部紀要, 27, 71-86.
産業図書のよりも、さらに日常例に目を向けて読み進めることができます。産業図書のを読んでから長谷川先生の論文を読んで、もう一度、産業図書に戻るという読み方が、阻止の随伴性の理解を一層深めるようです。産業図書のだけで釈然としなかった人は、webで調べて長谷川先生の論文を読んでみて下さいね。
ちょうど、長谷川先生がいまブログのほうに「叱りゼロ」にまつわる話題を展開しておられます。「叱りゼロ」というキーワードにしておられるので、もしかしたら長谷川先生は叱りゼロで「自分からやる子」に育てる本(大和書房)をお読み下さったのかもしれません。
また別の弟子が「叱りゼロの子育ては不可能と言われているのでしょうか?」との質問。
長谷川先生の場合、スキナーの「罰なき社会」の文脈で書かれています。拙著「叱りゼロ」の本については、「技術レベルで叱り(嫌子出現の弱化)は要らないでしょう」という技術レベルの文脈です。つまり、文脈が異なります。とはいえ、技術レベルでの叱りゼロも、実際問題は難しいものです。「叱らないようにしよう」と心がけても、もしかしたら相手が不安に感じる表情(嫌子)を提示してしまっている可能性もあります。だから、技術レベルでも実際問題不可能だと。教え子が万一、ナイフを振りかざして他の子に襲いかかるんなら、躊躇せずに教え子にドロップキックかますか、イスを投げてぶつけるかしますし(笑)。
ただ、教育的文脈では「よりよい技術を提供しよう」というスローガンみたいなものです。スキナーの「罰なき社会」も、実際問題で考えると無理ですよと。
しかし、行動分析学者が掲げるさまざまな特徴的な随伴性の種類から、われわれは「より幸せを感じるような随伴性」とは如何なるものかと考えさせられます。スキナーは他の著書でも小説でも、それらを示唆する記述をたくさん残しています。そこから、おれみたいな臨床家が「クライアントの幸せとは何か」というヒントをたくさん得てるし、あとは「実際問題、しょうがねえよな」というポストスキナリアン的で実用主義的な立場を取ることもできます。
「叱りゼロ」の本を書きましたが、実際には「ゆるやかなる脅し」も使っていますよ。もう15年以上も付き合いのある自閉症青年が就職しました。就職先で上司からあれこれと叱られたとき、その上司に復讐を企てていたので、おれはいつもの筆談カウンセリングやりましたよ。結局、本人が「やめときます」と判断しました。
その過程の中で、おれはめちゃくちゃ真面目な顔をして、
「あのな、おれはな、実は十津川警部と知り合いやねん。ちょっと今から呼ぶんで、ここに来てもらおーか」(ポケットから携帯電話と取り出す)
「結構です!」
「いやいや、どうせ上司に復讐したって十津川警部がそのうち逮捕に来るやろうからさ、どうせ捕まるなら事前に挨拶しとこうぜ」(携帯電話のアドレスから十津川警部の電話番号を探す動きをしつつ)
「結構です!」
「そうか、十津川警部を呼ぶのはまだ早いか」(携帯をパタンと閉じる)
「まだ呼ばなくて結構です!」
「ん? まだってことはやっぱり復讐するのか! じゃあ十津川警部をやっぱり今、呼ぼう!」(またおもむろに携帯を取り出して開く)
「復讐はしません!」
これ、まじめなやりとりです(^3^)=3
十津川警部が実在で、しかもおれとツーカーの仲であるという設定に何の疑いも持たない、おれの可愛い教え子よ(^^;) 他にも別の子たちに同じように携帯電話を取り出して「カミナリ商会の社長を呼ぶで!」とか「汲み取りうんこ撒き散らし組合の部長を呼ぶで!」とかで同じパターン実現してきたし、なぜだか「小林幸子、呼ぶで!」でも効果があった(^3^)=3
これって、思いっきり阻止の随伴性でしょ。
こんな感じで「叱りゼロ」の本を書いた人間が、こうやって「十津川警部出現阻止の強化」とかをうまいこと使ってるってわけです。トークン使ってとか、好子出現の強化メインでやってるセラピストは、ちょっとショボイです(笑)。そんなセラピストら「ABAはやっぱ遊戯療法とかと比べて良いよね〜、エビデンスあるよね〜」のレベル。そんなこと言ってたら、遊戯療法で手練れの人のほうがよっぽど上手い臨床をやるかもやで。
まあ、もちろんあれですよ。「十津川警部の出現どうするどうなる話」をした後、上司とうまくやっていくための入れ知恵をしておきました。最後にはニッコリ「なかなかさすがに社会人らしくなったな! えらいよ、すげーよ!」と褒めちぎって別れるわけです。
遊び的に、別れ際、
「奥田先生に褒められたからって、嬉しくなって酒を飲んで暴れますか?」(十津川警部を呼べる携帯を取り出す体で)
「飲みません!」
「そうかぁ、今日も十津川警部の出番無しやな・・・」
最後のくだり、完全に遊んでますね(^3^)/
※15年以上の付き合いです(SVのいない人は真似せんように)
奥田健次
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