幸せの押し売り
4年前に極度の脱水&低血糖で死にかけたとき、救急車のすぐ上まで死神が来て死の恐怖に怯えてこんなところで死にたくないと心の底から強く思って願ったときから人生観が変わったというか、
死は遠い先のことではなく、日常のすぐ隣にあるものなんだ、毎日車を運転してりゃ自分が気を付けていても貰い事故に遭うかも知れないし、ここは地震国だし、だから今日明日死んだって全然おかしくなくて、人生なんて束の間のものなんだな……なんて思うようになって、
それで死ぬことへの怖さも大きくなったけど、比例して、今こうして生きていられることってとても幸せなことなんだなと、普通の毎日に大きな幸せを感じるようにもなりました。
あそこで死んでいたら、もう見ること話すこと感じること何もかも全て出来なくなっていたんだよなと考えると、毎日の何気ない一つ一つの出来事全てが幸せに思えて、何かに頭に来ても、あそこで死んでたらこうやってムカつくことだって出来なくなっていたんだよな……なんて、そのムカつくことですらも幸せに思えたり。笑
最近何でか鼻の粘膜が傷ついててそのカサブタがですね、パッと見、鼻クソみたいに見えてしまうので気が付く度に取ってたらなかなか治らないからもう仕方なく今は放置してて、だから毎日多くの人に「アイツ鼻クソ付けたまま仕事してるよww」とか思われたりしてんだろなとか考えると恥ずかしくもなるけど、その恥ずかしさすらも、今こうして生きていられるからこそ感じられるものなんだと幸せに……
思えないこともない。笑
くらいに、こうして生きていられることだけでも本当に幸せなのに、自分には人生を賭けて長年打ち込んできた熱くなれるものがあって、去年それに区切りを付けたつもりだったけど、色々あってまたもう一度熱くなることが出来て、
今は来月の試合に向けて、毎日の数百回の短距離ダッシュ効果で得た44歳とは思えないような動きを見せて皆を驚かせたるぞ!
と自分に期待して毎日を過ごせていて、そんな日々がまたとても幸せなんだけど、
でも年齢の壁というものはやっぱりあって、身体は絞れて動きのひとつひとつは昔と変わらないと思えるものになっていても、いざ試合になると反応が昔のようには行かず、全く思い通りに動けずに終わってしまった……
なんて結果になることも充分に考えられるんですよね。。
練習での動きを、練習とは違う重圧の掛かる中で相手の動きに反応して咄嗟に出せるかというのが試合であって、それを今どこまでやれるのか、そこはもうやってみないと分からないからなぁ。。。
そんなことをですね、日曜のスパーを振り返ったり、昔の自分の試合映像を久しぶりに見ていて思い、これは全然思い通りには行かないことを覚悟してやらなきゃと、昔は常に持っていた試合前の気持ちを思い出し、
区切りを付けて就職したのにまた試合が出来るなんて言ってみりゃボーナスステージみたいなモンだから、ここからは緊張とは無縁で楽しんでやったろヒャッハー!
なんて最初は思ってたのに、試合が近くなってくると結局これまでと同じような感じになってしまっております。。。笑
でも、これだって生きているからこそで、あそこで死んじゃってたらこういう思いだってもう出来なくなっていたんだよな。。。
って考えれば、これだってめっちゃ幸せなことじゃん!
と思うことにしよう。
全てをそこに帰結させりゃもう何だって幸せよ!笑笑
写真は以前センチャイジムでトレーナーをしていたKさんが赤羽に開いたジム「ノーナクシン東京」にて、スパーの相手をしてもらった、まだ50戦くらいしかしてないらしいKさんの従兄弟21歳&Kさんと。あとはKさんがくれた「ノーナクシン東京」とタイ語で書いてあるらしいムエタイパンツ。これにブラジルの国旗やらをプリントして試合で使わせて頂きます。コプクンカー。
つーか21歳で「まだ」50戦「しか」やってないとは……俺なんて44歳でプロアマ合わせてやっと100戦超えたくらいで、21なんてプロ修斗デビューの歳なんですけど。。。
ムエタイ恐るべし。
Osu